年のはじめに

e0214793_19202236.jpg
南仏で過ごした年末年始の一週間は、さながらシャンパンの泡のようにはかなく過ぎていった。年の初めにボローニャから古い友達がやって来た。
私はすでに年末から眠りたいだけ寝ていたので元気いっぱい、小さなニースの市街を速足で、トラムなど使わずに歩き廻るのに慣れていたがこの友達ときたら、ゾンビみたいに疲れてやってきて、一緒に歩くとまるでカメとお散歩しているかのように歩みが遅い。
そこで私は彼女にあわせてゆ~っくりゆ~っくり、じれったさを抑えながら歩いた。
しかしこの彼女こそ、数少ないほんとうの友人のひとりなのである。
イタリアで最初に仲良くなった友達。彼女とは何年会わなくても何も変わらない。
最後にあった日と再会の日がすっとつながるようにできているらしい。
彼女はイタリア人だけれど、まるで私の妹みたいな感じがする。言葉の壁が存在しないかのようだ。
ミラノで、ある日曜日に病気になった私のために救急車を呼び、病院でさんざん待たされたあげくに、診察が終わるまでの果てしなく長く感じられた時間をずっと待合室で待っていてくれた友達だ。
診察室から出て、まだ彼女がそこにいた事が分かった時の驚きとほっとした気持ちはまるで昨日のことのように鮮明で、きっと一生忘れないだろう。
だから今日のブログはカテリーナ、あなたへのちいさなメッセージとさせてほしい。
私たちは一緒にいた3日間の間、一緒に食べたり時間を気にしながらショッピングをしたり、時には昔にもどって軽口をたたいたりしたけれど、 こうしてひとりパリにもどってみると、もっとああしてあげればよかった、あんなこと言わなきゃよかったって思うことばかり。次に会うときにはもっと大人になってるからね。そして、あなたにたくさんの素敵なことが起こる年でありますように!

[PR]
# by kuro_music | 2016-01-12 19:22

私がサンタになった日

e0214793_05292284.jpg
久々に今年のクリスマスはパリで過ごすことになった。12月のはじめ、たまたまテレビを見ていたら、たったひとりで孤独にクリスマスを迎えなければならない老人たちの姿が映し出され、彼らを贈り物をを持って訪問しようというボランティア団体のCMが流れた。

それがなんとなく頭にこびりついていたある日、ふと思い立ちクリスマスの日のボランティアについてインターネットで調べてみた。すると数ある団体のなかでも、あるキリスト教団体が「イヴの夜の配膳係」だとか、「孤独な老人たちにプレゼントを届ける」といったふうにはっきりと役割を設けて募集を出していた。私は「イヴの夜の配膳係」の項目にチェックをつけて登録した。
すると、すぐに自動返信メールで「ご連絡ありがとうございました。近日中に詳細をお知らせします。」という返信がきた。ところが待てど暮らせどその詳細を知らせるメールは届かなかった。
 もうクリスマスまであと一週間という時に、もう一度その団体のサイトを調べなおすと いつのまにか「イヴの夜の配膳係」という項目が姿を消していて「孤独な老人たちにプレゼントを届ける」という項目だけがまだ残っていた。そこで今度はその項目にチェックをして登録し直した。
すると、自動返信メールのあとにすかさず担当者からの確認メールが届き、私の身分証明書の要求に続いて約束の時間や場所を知らせてきた。

クリスマスイブの午後3時にその団体の事務所に行くと、係の女性はこれから訪ねる老人の名前と住所、そして電話番号が書かれた紙を私に渡し、本人に在宅確認の電話をした。
そして、小皿の上に積み重なっていたちいさな紙切れのひとつを取って私に渡し 「これを持ってあちらのテーブルに行き、プレゼントを受け取ってください」と言った。
その紙には 「アルコール入りの包み」と書かれていた。

手渡されたプレゼントの袋はアルコールの瓶が入っているせいなのか、ずっしりと重たかった。他にも、カレンダーや鉢植えそして缶詰などが入っているようだった。住所はその事務所から歩いて15分くらいのところにあることがわかったが、途中で3回も休まなければならないほど重い袋だった。

老人はパレット氏といい、彼のアパルトマンは坂道の途中にあった。
紙には4階と書かれていて、エレベーターはなかった。廊下の一番奥の右の部屋のドアが半開きになっていた。声をかけると部屋の奥で誰かが動く気配がして 「どうぞ」と言う声が聞こえた。
中に入ると、壁一面ジョニ・アリデイ(フランスの大御所ロック・スター)のポスターで埋め尽くされた狭苦しい空間に、まだそれほど年をとっているとは言えない、キッパー(ユダヤ人のまるい帽子)をかぶった老人が立っていた。

プレゼントを渡すと彼はそれに目もくれずに、私にちいさなベッドの前にある椅子を勧めた。
私は彼がコーヒーを沸かしに行っている間、この見慣れぬ部屋を好奇心をもって眺めた。
ちいさなひと間は、言い変えれば巨大な宝箱であり、どこか思春期の少年の部屋のようでもあった。主な空間は全て、このロックスターに関するものたち( ポスター、額に入れられたデイスクやコレクターグッズなど)が占領していた。
他のもの(つまり靴とか衣類とか)は、まるでごみみたいに片隅に追いやられていて、窓際に大きめの液晶画面のテレビがあった。

パレット氏が少しよろよろと歩きながら、「クリスマスのおかしをどうぞ」と言ってちいさなチョコレートケーキの皿を手に戻ってきた。
私が、いつからジョニ・アリデイのファンなのかとたずねると、「全人生さ」と大きな声で答えた。 それから彼はひっきりなしにタバコを吸いながら、自分がシチリア移民の子供でフランスで生まれたこと、現在住んでいる地区は村のように皆が知り合いでいい人たちばかりだということ、友人にフランス人は少なくて皆ほとんどが彼のように移民2世ばかりだということ、患っている持病のことなどについて熱をこめて語った。 
家族に関しては、彼はなにも話さなかったし私もたずねなかった。

 話の途中で彼は「これは、歌詞がすごくいいんだ。聴いてごらん」と言って、あっという間にテレビの画面を使って、ジョニ・アリデイの一曲を選び出した。
煙でもくもくした部屋にジョニの歌声が響き渡っている間、私は突然襲ってきた居心地の悪さと共に、ふと自分も学生時代に友達に対して似たようなことをしていたなと思った。

 自分のお気に入りの曲というのは、実はお気に入りなどと軽々しく呼べないほど切実な思いを内包しているものだ。それはいつの間にか自分の血となり肉となって、歌詞は自分の言葉になってしまう。だからこそ、友達に自分の最も大切な曲を聴かせるときは相手につい切ないほどの共感を求めてしまうのである。
それが分かっているだけに、たった数十分の間プレゼントを持って訪問しただけの私にはそんな彼の思いを受け止める用意がなかった。そこで気まずくなった私はつい、話し出してしまった。
パレット氏は音楽を停めた。

帰り際に、私がさっきから気になっていたカーテン越に見える人形のようなものについて尋ねると彼は「ああ」と言って立ち上がり、窓を開けた。
そこにあったのは、汚れて真っ黒になったプラスチックのサンタの人形だった。 一体どのくらい長い間放置しておいたらそこまで汚れるかと思うくらいに、白いひげにも真っ赤な衣装にも黒い汚れがこびりついていた。
そのサンタには台座がついていて、そこから電気コードが伸びていた。
パレット氏がいそいそとそれをソケットにつなぐと言った。
「台座を叩いてごらん!」
私が恐る恐る汚い台座を指で叩くと、いきなり30年の眠りから甦ったかのように、埃にまみれたサンタがカン高い声でクリスマスの歌を歌いだした。汚れた服越しにぴかぴかと色電球が点滅し、4階の窓から静かな中庭に向かってこのゾンビのようなサンタは、狂ったようにメリークリスマスと叫んだ。
私はこの瞬間、少しだけパレット氏のほんとうの姿を理解した気がした。

別れの挨拶のとき、パレット氏は私に「さかんに仕事をしなさいね」と言い添えた。そして、私がドアから出るときにさらにこう言い足した。
「この部屋の扉は君が入って来た時のようにいつだって開かれているんだ。だからいつでも好きなときにお茶を飲みにいらっしゃい」と。


[PR]
# by kuro_music | 2015-12-27 05:59

パリが戦場になった夜

e0214793_03044219.jpg

パリから平和な日常が消えた。いや、もしかすると「平和な日常」など 勝手な幻想だったのかもしれない。ひとつだけ、はっきりしているのは一夜で周りの世界が変わってしまったということだ。
金曜日の夜のパリ同時多発テロ。
サッカー場をはじめ、有名なバタクラン劇場や、庶民の憩うサン・マルタン運河周辺の店のテラスや通りでおびただしい数の人々が犠牲になった。
私もショックのあまり、先週末からまるで時が止まってしまったかのような日々を送っている。
あの日、テロが起きた通りにいたのは自分だったかもしれないし、友人だったかもしれない。そんな思いが、自分を無力感で一杯にする。
「私も、友人も無事だった」というただそれだけのことが、とてつもない安堵感と、新たな不安とのパラドックスで板ばさみにしてくる。

思えばあの日の午後は、友人とオペラ座近くのグラン・ブールヴァールでお茶を飲んでいた。 でも私ははじめ、サン・マルタン運河の近くのサロン・ド・テに行こうと提案した。すると友人が、自分の家からはちょっと遠いからと言ったので行かなかったのであるが、そのサロン・ド・テは、あの凄惨なテロがあったカンボジアレストランと同じ通りにあった。
私たちがその日、サン・マルタン運河の地区を選ばずにグラン・ブールヴァールにしたのも、約束を夜ではなく昼にしたのも、すべて偶然だ。

私たちが当たり前のように「日常」と呼ぶものは、もしかしたら積み重なるありがたい偶然によって成り立っているだけなのかもしれない。

ベイルートのテロ、ロシアの航空機のテロ、すべてのテロの前に私たちは無力かもしれない。でも国境を越えて、宗教を超えて人々が志をひとつにするチャンスでもある。 この数日、パリの人々が日頃の無関心さから抜け出して、優しく声をかけ合うようになったと感じるのはどうやら私だけではないようだ。



[PR]
# by kuro_music | 2015-11-19 04:42

紅葉さがし

  ベルヴィル公園から、今年も秋の紅葉をお届けします。

e0214793_20201080.jpg




 パリでは、ル・ノートルが設計したチュイルリー公園やリュクサンブール公園に注目が集まってしまうけど、他にもあちこちにステキな公園はある。
特に19区のビュット・ショーモンや、ベルヴイル公園は、いい意味で手入れされていないところが魅力。


e0214793_20222615.jpg




皆、驚くほどあったかい日曜日の公園で気持ちよさそう。
たくさんの人が、芝生の上にごろり!

e0214793_00554640.jpg





秋のいちょうの木には、日本とつながる素敵な思い出ばかり。
そういえば、井の頭公園の近くの母校にも、たくさんのいちょうの木があったな。
e0214793_20245308.jpg






家の窓から。午後の夕日があたると、公園全体が黄金色に輝く。

e0214793_08253398.jpg


[PR]
# by kuro_music | 2015-11-11 01:16 | パリでお散歩

やさしい季節

e0214793_08411963.jpg

今日は、11月に入ってから二度目の日曜日。

パリは暖かくて、11月なのになんと20度もあった。これは例年のフランスの同じ時期と比べると格段に暖かい。

この異常さに喜んでいいんだか、心配するべきなのか......。

でも外に出てみると、皆さんやはり薄着でそぞろ歩きを楽しんでいるよう。Tシャツ姿の人の姿まで時々見かける。こうなるともう、秋なんだか春なんだかわからない。
でも、この本当に信じられないくらい甘くやさしく頬を撫でる風は、どこか夏を帯びた晩春の夕方の風にも似ている!と、道を歩きながら不思議な快楽にひたる私。

思わず、数年前(かなり前だったと思うが)の真冬に、いっとき海で泳げるくらいに暖かい日が続いたというロシアのどこかの街を思い出してしまった。 そのとき、フランスのテレビのインタビューに対してある婦人が、「これは、まぎれもなく神様の思し召しだわ!!」と言って喜びを隠しきれない様子だったのが印象に残っている。
毎年、とてつもなく厳しい冬に何ヶ月も耐えなくてはならないロシア人にとっては異常気象だろうがなんだろうが、その冬は神様からの贈り物に思えたに違いない。

ロシアの例を出さずとも、やはり気温が高いというのはそれだけで暮らしやすく、ありがたいものだ。とはいえ、心のどこかで嵐や台風の日に家にこもって心配しながらニュースを見ている時に味わう、あの「非日常性」にわくわくする後ろめたさのようなものを感じていることを認めざるを得ない。






[PR]
# by kuro_music | 2015-11-09 08:47