久々に今年のクリスマスはパリで過ごすことになった。12月のはじめ、たまたまテレビを見ていたら、たったひとりで孤独にクリスマスを迎えなければならない老人たちの姿が映し出され、彼らを贈り物をを持って訪問しようというボランティア団体のCMが流れた。
それがなんとなく頭にこびりついていたある日、ふと思い立ちクリスマスの日のボランティアについてインターネットで調べてみた。すると数ある団体のなかでも、あるキリスト教団体が「イヴの夜の配膳係」だとか、「孤独な老人たちにプレゼントを届ける」といったふうにはっきりと役割を設けて募集を出していた。私は「イヴの夜の配膳係」の項目にチェックをつけて登録した。 すると、すぐに自動返信メールで「ご連絡ありがとうございました。近日中に詳細をお知らせします。」という返信がきた。ところが待てど暮らせどその詳細を知らせるメールは届かなかった。
もうクリスマスまであと一週間という時に、もう一度その団体のサイトを調べなおすと いつのまにか「イヴの夜の配膳係」という項目が姿を消していて「孤独な老人たちにプレゼントを届ける」という項目だけがまだ残っていた。そこで今度はその項目にチェックをして登録し直した。
すると、自動返信メールのあとにすかさず担当者からの確認メールが届き、私の身分証明書の要求に続いて約束の時間や場所を知らせてきた。
クリスマスイブの午後3時にその団体の事務所に行くと、係の女性はこれから訪ねる老人の名前と住所、そして電話番号が書かれた紙を私に渡し、本人に在宅確認の電話をした。
そして、小皿の上に積み重なっていたちいさな紙切れのひとつを取って私に渡し 「これを持ってあちらのテーブルに行き、プレゼントを受け取ってください」と言った。
その紙には 「アルコール入りの包み」と書かれていた。
手渡されたプレゼントの袋はアルコールの瓶が入っているせいなのか、ずっしりと重たかった。他にも、カレンダーや鉢植えそして缶詰などが入っているようだった。住所はその事務所から歩いて15分くらいのところにあることがわかったが、途中で3回も休まなければならないほど重い袋だった。
老人はパレット氏といい、彼のアパルトマンは坂道の途中にあった。
紙には4階と書かれていて、エレベーターはなかった。廊下の一番奥の右の部屋のドアが半開きになっていた。声をかけると部屋の奥で誰かが動く気配がして 「どうぞ」と言う声が聞こえた。
中に入ると、壁一面ジョニ・アリデイ(フランスの大御所ロック・スター)のポスターで埋め尽くされた狭苦しい空間に、まだそれほど年をとっているとは言えない、キッパー(ユダヤ人のまるい帽子)をかぶった老人が立っていた。
プレゼントを渡すと彼はそれに目もくれずに、私にちいさなベッドの前にある椅子を勧めた。
私は彼がコーヒーを沸かしに行っている間、この見慣れぬ部屋を好奇心をもって眺めた。
ちいさなひと間は、言い変えれば巨大な宝箱であり、どこか思春期の少年の部屋のようでもあった。主な空間は全て、このロックスターに関するものたち( ポスター、額に入れられたデイスクやコレクターグッズなど)が占領していた。
他のもの(つまり靴とか衣類とか)は、まるでごみみたいに片隅に追いやられていて、窓際に大きめの液晶画面のテレビがあった。
パレット氏が少しよろよろと歩きながら、「クリスマスのおかしをどうぞ」と言ってちいさなチョコレートケーキの皿を手に戻ってきた。
私が、いつからジョニ・アリデイのファンなのかとたずねると、「全人生さ」と大きな声で答えた。 それから彼はひっきりなしにタバコを吸いながら、自分がシチリア移民の子供でフランスで生まれたこと、現在住んでいる地区は村のように皆が知り合いでいい人たちばかりだということ、友人にフランス人は少なくて皆ほとんどが彼のように移民2世ばかりだということ、患っている持病のことなどについて熱をこめて語った。
家族に関しては、彼はなにも話さなかったし私もたずねなかった。
話の途中で彼は「これは、歌詞がすごくいいんだ。聴いてごらん」と言って、あっという間にテレビの画面を使って、ジョニ・アリデイの一曲を選び出した。
煙でもくもくした部屋にジョニの歌声が響き渡っている間、私は突然襲ってきた居心地の悪さと共に、ふと自分も学生時代に友達に対して似たようなことをしていたなと思った。
自分のお気に入りの曲というのは、実はお気に入りなどと軽々しく呼べないほど切実な思いを内包しているものだ。それはいつの間にか自分の血となり肉となって、歌詞は自分の言葉になってしまう。だからこそ、友達に自分の最も大切な曲を聴かせるときは相手につい切ないほどの共感を求めてしまうのである。
それが分かっているだけに、たった数十分の間プレゼントを持って訪問しただけの私にはそんな彼の思いを受け止める用意がなかった。そこで気まずくなった私はつい、話し出してしまった。
パレット氏は音楽を停めた。
帰り際に、私がさっきから気になっていたカーテン越に見える人形のようなものについて尋ねると彼は「ああ」と言って立ち上がり、窓を開けた。
そこにあったのは、汚れて真っ黒になったプラスチックのサンタの人形だった。 一体どのくらい長い間放置しておいたらそこまで汚れるかと思うくらいに、白いひげにも真っ赤な衣装にも黒い汚れがこびりついていた。
そのサンタには台座がついていて、そこから電気コードが伸びていた。
パレット氏がいそいそとそれをソケットにつなぐと言った。
「台座を叩いてごらん!」
私が恐る恐る汚い台座を指で叩くと、いきなり30年の眠りから甦ったかのように、埃にまみれたサンタがカン高い声でクリスマスの歌を歌いだした。汚れた服越しにぴかぴかと色電球が点滅し、4階の窓から静かな中庭に向かってこのゾンビのようなサンタは、狂ったようにメリークリスマスと叫んだ。
私はこの瞬間、少しだけパレット氏のほんとうの姿を理解した気がした。
別れの挨拶のとき、パレット氏は私に「さかんに仕事をしなさいね」と言い添えた。そして、私がドアから出るときにさらにこう言い足した。
「この部屋の扉は君が入って来た時のようにいつだって開かれているんだ。だからいつでも好きなときにお茶を飲みにいらっしゃい」と。