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進め!イタリアの明かりだ!

1999年の夏、ウイーンで勉強中だった私はヴアイオリンを抱えてミラノ行きの列車に乗った。オーケストラのオーデイションを受けに行くためだった。  その年、私は初めて強くヨーロッパのオーケストラに入団したいと望んでいた。 毎月買う、ヨーロッパ中のオーケストラの求人情報の載った雑誌をめくっていた時に、このミラノのオーデイションのことを知った。そしてこのオーケストラの主席指揮者のところに私の憧れのイタリア人指揮者の名前が載っているのを見つけた瞬間 私はイタリアに行ってみようと思った。                  

 初めて目にしたミラノの街はガソリンで曇っていて、埃っぽかった。私は、予約したホテルを探してマルコーニ通りを行ったり来たりしていた。どこを探しても、目的のホテルが見つからないのである。 けれどもよく気をつけてみると、信じられないほど粗末で目立たない扉の横に、いくつも並んだインターフォンのボタンがあって そのひとつに手書きでホテル名が書かれていた。が、鳴らしてみても何の返答もない。 不安になって何度も押してみたが、結果は同じである。予想外の展開に面食らった私は、すぐ真向かいにあった大きくて立派なホテルに助けを求めた。
金色に輝くホールで、レセプションの男はとても親切に何があったか理解してくれ、早速 向かい側の「ちいちゃな」ホテルに電話をするとこう言った。「おいおい、どうしたんだね?あんたんとこのお客さんが、中に入られなくて困ってるじゃないか?」 電話の後、彼は私に まるで自分のホテルの別館にでも案内するかのように「さ、どうぞ。もう大丈夫!入れますよ」と言ったのだった。
  
 その小さく古びた扉を開けると、ヨーロッパの建物の多くがそうであるように、 中には別の建物と中庭があった。ホテルのドアを開けると、再び驚きに見舞われた。レセプションには「青いバス・ローブ姿の男」が立っていたのだ!でも、私が本当に言いたいのは、ホテルのフロントにバス・ローブを着た男が立っていたことよりも、それまでの人生でこんなにバス・ローブの似合う男を見たことがなかったということである。ーつまり、彼はアラン・ドロンみたいにセクシーであった!ー
しかも私が入っていった時、彼は大声で電話の真っ最中だったので、私は彼の見事なバス・ローブ姿を見ながら 「それにしても朝の11時になるというのに、フロントの人がシャワーを浴びたばかりとは一体どういうことなのだろう?」などと考える時間があった。 電話の後、このハンサムな男性はバス・ローブ姿のまま、とても親切に部屋へ案内してくれた。私がヴアイオリンを弾いてもよいかと尋ねると、彼は目を輝かせて「それじゃ、今夜ぜひ皆の前で演奏してもらえない?」と言って出て行った。”皆”とは一体誰のことなのか、その時は解らなかったが ,夕食の時間が近づいてそれがわかった。私が夢中で練習していると、ひかえめにドアをノックする音が聞こえた。ドアを開けると、そこには今朝のバス・ローブの男ともう一人、別の男がにこにこしながら立っていた。「さあ、こちらへ!」  促されるままに付いて行くと、奥のキツチンや居間には彼らの家族と思われる人々が集っていた。私まで前菜などを勧められ、ついにそこでヴァイオリンを弾くことになったのだ!私にとっても、本番前のリハーサルになるので有難かったが 知らな、大人から子供までが思い思いの場所に腰を下ろして私の演奏に耳を澄ましてくれたこの不思議な夜は、私にとって初めてのイタリアの夜でもあり、鮮烈な印象となって残った。

 次の日のオーデイションはこれもまた、びっくりの連続だった。世界中のクラシック・ファンが知っている高名なマエストロ(指揮者)が目の前にいて、私が一通り弾き終えると満足げに微笑んでこう言った。「ベーネ、ベーネ(goodの意味)!君は上手だから、ちょっとシュトラウスの「英雄の生涯」のソロをひいてもらえないかね?」ー 断っておくが、この『英雄の生涯」のソロとは、通常コンサート・マスター(ヴァイオリンのトップ奏者)が演奏する部分で、今回の私のようにその他大勢の奏者の試験を受けに来た者が弾くべき曲ではない。しかも難曲である。当然のことながら、用意のない私は断った。すると今度は、別の曲のこれまたコンサート・マスターが演奏する部分を弾けと言う。あっけにとられた私が立ちすくんでいると、彼のアシスタントがやって来てさっさとその楽譜を私の前に置いた。それはバッハの曲だった。「大丈夫だから、ちょっと弾いてごらん」と言う彼の言い方には、「コーヒーを淹れてくれる?」ぐらいの重要性しかなかった。こうなったらもう、弾くしかない。私は弾いたがそれは全くの初見で、初見の苦手な私は自分の弱みをさらしたにすぎなかった。
私は 半泣きになりながらホテルに戻り、自分の小ささを呪った。せっかくのチャンスを台無しにしたかもしれないのだ。 オーデイションの結果は1週間後と聞いて、ウイーンに戻った私は、一週間経っても何の連絡もないこのオーデイションはきっとだめだったのだと思った。
そして忘れかけていた頃、突然の電話で合格が知らされた。実感がつかめなかった私は、「つまり、イタリアに住むということですか」などとつぶやいてしまった。すると電話の向こうで相手は「そう。引っ越さなきゃならないんじゃない?」とイタリア語訛りの英語で答えた。
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by kuro_music | 2014-09-27 19:25 | イタリアで

パリ住在のヴァイオリニスト。パリでの日常、こんなこと、あんなこと。そして、大好きな映画について。


by 名無しのゴンベイ