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雨の夜の部屋探し

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ミラノで、始まったばかりの仕事と家探しで疲れ果てていた私は、ホテルの部屋でぼんやりとテレビを眺めていた。するとふいに電話が鳴り、出てみるとオーケストラ専属の合唱団員の女性からで、彼女のアパルタメント(イタリア語で、アパート、マンションのこと)の一室が空いたので今見に来ないかということだった。ホテルから歩いて行ける距離だという。時計を見るとすでに21時を回っていたが、本気で住むところを探していた私に他の選択肢はなかった。
濃い闇に、オレンジ色の街灯の明りが溶け出す通りに出ると、さっきまでか細く降り続いていた雨が途端にその雨脚を強め、私は急に強い不安に襲われた。そして、自分がよく知りもしない街角へ、ひとりでこんなに遅い時刻に飛び出してきてしまったことを後悔した。今、突然誰かに襲われてもなんの不思議もあるまいなどと考えながら、濡れて黒光りのする道路を歩いていると、急に眼の前に頭までレイン・コートに覆われた誰かが現われた。驚いて声をあげそうになったけれど、すぐに相手が私のことを知っていることがわかった。その男性は、私の名前を口にしたからだ。私のことを心配して、通りまで出てきてくれたらしい。強い雨に打たれながらややしばらく彼についてゆくと、やがてある建物の前で立ち止まって扉を開けた。
ーーどうぞ。入って!
アパルタメントのなかは薄暗く、間接照明でところどころ照らし出されていた。
私の前に、ひとりの女性がにこやかな笑顔を浮かべながら現われた。
赤毛で、そばかすいっぱいの彼女のことを、私はどこかで見かけたことがあると思った。”そうだ、たしか、マーラーの交響曲の時にだ!”と私は思った。私を迎えに出てくれた男性の方もやはりオーケストラの合唱団員で、女性とは親しい友人らしかった。
女性はまず、私に家の中を案内した。
家の中は、まさに彼女という人をそのまま表現したかのようなインテリアだった。
家中、バスルームから居間に至るまで、およそ考えられる全ての突起物に彼女の帽子だの、首飾りだのがぶらさがっていた。
バスルームに至っては、洗面台が見えなくなるほどに彼女の宝物が場所を占領していて、しかもやっと相手の顔が見分けられる程度の明りのなかに艶っぽく浮かんでいた。ひととおり部屋を見せ終わると、彼女は私を色とりどりの布でうめつくされたリビングに案内し、私はインドの香の匂いのするソフアに座った。
私が部屋を見回していると、合唱団員の男性が私たちのためにジェラートをテーブルに運んできた。その後から彼女が部屋に入ってきて、私に家は気に入ったかと尋ねた。
私が個性的なインテリアに感嘆を示すと、彼女はうれしそうに私のそばに腰を下ろした。すると、あたりに甘い香りが漂った。それは、つけたての香水だった。
続いて、彼女は次々と私のことについて尋ねた。
どうしてイタリアに来たの? もうどのくらいミラノにいるの? ホテルは....,
アイスクリームが、ゆっくりと溶け始めていた。
蓄積した疲れが、少しづつ頭をもたげ始めているのを私は感じた。
私は、彼女の黒くふちどられた緑色の眼を見ながらシャム猫を連想した。
でもシャム猫の声は以外に低くて、どこか私を警戒させる響きを持っていた。
”私ね、ついこの間までここでガールフレンドと暮らしていたの。でも別れたのよ。彼女と....。”
” 疲れているのね。可愛そうに!あら、ジェラート溶けちゃってるわよ。”
合唱団員の男性は、まるで存在しないかのようにじっとそこに座っていた。私は一度ほめた部屋を断るのに何と言おうか、無理やり頭を働かせている最中だった。するとその時、かたんと音がして本物の猫がやってきた(シャム猫ではなかったが)!
彼女は猫を抱き上げると、愛おしそうに口づけして私に紹介した。
”あなた、ところで猫はお好き??”
ああ、このときほど自分の猫アレルギーに感謝したことはなかった!
完全に眠気のふっとんだ頭で丁寧にお礼を言うと、私はその家を後にした。
ホテルに帰ると、なにもない殺風景な部屋が妙にすがすがしく感じられた。
そして歯を磨く気力もなく、私はそのままベッドに倒れこんで眠ってしまった。
翌朝、目が覚めると私は真っ先に昨日の夜、なにがあったか思い出そうとした。
そして、すぐに合唱団員の女性の顔が頭に浮かんだ。彼女のつけていた香水はまだほのかに、メドウーサの髪のように私にからみついていた。



























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by kuro_music | 2015-03-12 02:09 | イタリアで