1999年 9月

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その年の九月、私は留学先のウイーンからミラノに引越しをした。

引越しをしたとはいっても、オーケストラの仕事が月末から始まるというのに、まだ住む場所の検討がついていなかった。
しかたなく、私の引越しの荷物は「すべて」、私がイタリアで知っている唯一の住所であるオーケストラの事務所に届けられた。
そもそも住居に関しては、労働ビザなどの手続きのために日本から連絡をとった時、事務員がいとも簡単に「あなたの住む場所については、こちらで探しておきます」と言ったのを、うかつにも信じ込んでしまったのだった。
いわゆる、「イタリアの泥棒」とか、「イタリア男には気をつけろ」といったような、ステレオタイプの話についてはよく知っていたものの、結局それ以上はなにも知らなかったのだった。だから、頭からそんな電話での口約束を信じて事務所に行き、さて私の住む場所はと尋ねると、事務員にぽかんとした顔で「そんなこと、全く知らない」と言われて私は頭が真っ白になり、その場に立ち尽くしてしまった。
しかたなく、私は仕事場の近くに 看板の三ツ星のひとつが消えかかっている小さなホテルを見つけ、そこから毎日仕事に通うことになった。
そのホテルの裏手には小さいけれど手入れの行き届いた庭があり、朝食の時間になると真っ白な子猫がどこからかやってきて、私とブリオッシュを分け合った。

ミラノの街はまだ夏の気配が残っていて、午前中のやわらかい風は、まだ休暇の匂いを残していた。
仕事場の雰囲気は素晴らしかった。団員はさまざまな国から集まっていたが、やはりイタリア人がそのほとんどだった。
カテリーナという、小柄なイタリア人のヴィオラ奏者が最初に話しかけてきた。といっても、私はまだイタリア語で話すことなどできなかったのだが、彼女はいっこうに気にかける様子もなく 次々と新しいオーケストラの仲間を紹介してくれた。
 最初に紹介してくれたのが、一番の友達となるチェリストのマテオとヴァイオリニストのジャンピエロだった。背が高くて美男のふたりは、そろってラヴェンナ出身だった。内気な感じのするマテオと屈託のない、明るいジャンピエロ。
リハーサルの休憩時間になると、私たちはバールにカフェを飲みに行った。

 イタリアのコーヒー、つまり「おもいきり濃いエスプレッソ」は、始め私の好みに合わなかった。ウイーンで、メランジェという世にもまろやかなコーヒー(上に、繊細なメランゲのように泡立てたミルクがのっているのだが、カプチーノのようにもっちりした泡ではない。その下のコーヒーも、エスプレッソのような鋭さはない)に親しみすぎていたのがその理由である。それでもそのうちに慣れ、私も他のイタリア人たちと同じように、バールで濃いエスプレッソを飲むことが大好きになっていった。

仕事が五時半に終わると、私は広告や新聞の切り抜きを手に、アパート探しのためにミラノの西へ、東へと駆けずり回った。
家賃の高いミラノで、できるだけ家賃を安くきりつめようと、若い人たちは部屋をシェアするためにルームメイトを探している場合も多かった。オーケストラの団員たちも、その多くが家を他の団員とシェアしていた。私も、そんな募集をいくつか見つけて訪ねてみた。ところが、そのうちのひとつにはあきれてしまった!
 待ち合わせのメトロの駅で、24歳くらいでそばかすだらけの愛嬌のいい男の子が待っていた。彼はアメリカ人で、ミラノの大学で勉強しているという。彼に連れられて行ったアパートは、だだっぴろいひと部屋に、彼とあとふたり(!)の男の子たちが暮らしていた(彼らはただその平面をモノでくぎって暮らしていた)。
皆たいそう愛想がよくて、私が部屋に入っていくと、「こんにちは」と言いながらそれぞれの領域から部屋の中心に進み出てきた。さて、じゃあ私の部屋を見せてくださいと言うと、そばかすの彼は微笑を崩さずに ごくあたりまえのように「そこです」と言った。彼の指が指差していたのは紛れもなく私が立っていたあたり、部屋に入って三歩ほど歩いた壁側のゾーンのことだった。(確かに、その右側の壁のあたり何メートルかはがらんとしていた)。さすがの私も、こればかりは笑うしかなかった!冗談なら、上出来だ。この相撲部屋のなかに女ひとり、チョークかなにかで線でも引いて、その中でどうぞお好きに暮らして下さいというわけか?
 私は、エレベーターまで三人の特大スマイルに見送られながら あわてて立ち去った。



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# by kuro_music | 2014-11-28 01:44 | イタリアで

パリでは有名人はあなたの隣で食事をする!

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今夜は、連れ合いとうちの近くのレストランで食事をしようということになった。
一日中楽器を練習して髪はボサボサ、洋服も普段着だけれどおなかはぺこぺこ。飢えた動物のように一刻を争う状態。
そんな時に私の住むカルテイエ(地区)はとても便利だ。 中華は軒を連ねているし、タイにベトナム、インド料理にギリシャ料理までがわずか5~600メートル以内にひしめきあっている。どこも価格は良心的で遅くまで営業しているので安心だ。
私たちは,界隈きっての人気店であるタイ料理の店に入ることにした。パリのレストランはせまいところにたくさん人が入るので、相席は日常茶飯事である。 この日も、待たされたあげくに真ん中の長いテーブルの中央二席だけがやっと空いたので ありがたくそこへ行かねばならない。隣とは、ひじがぶつかりそうな距離! しばらくして、なにげなく斜め向かいのひとの顔が眼についた。ーあれ?この顔どこかで見たなあ..., と思う。もうちょっとしてから、もう一度視線を向けてみる。 そこに座っていたのは、最近よくフランス映画で活躍している女優だった。そして、彼女の真向かいに座っていたのも(つまり私の横)、とても有名な女優だった。彼女たちは私たちと同じように、やはり普段着でノーメーク。話に夢中になっている普通の女の子たちのように見えたので、全く最初は気がつかなかったのだ。 そしてまわりの人達も、食事の始めから終わりまで誰も彼女たちの写真をとろうなんて考えないしサインもねだらない。
これは私は、とても大人な態度だと思う。 
フランスではとてもプライベートを大切にする。良くも悪くも皆、「自分勝手」なのである。
だから、ひとのことなんてどうでもいい代わりに自分のことも放っておいて!!という人々なので、パリ市長がホモセクシュアルだって 一体それが自分とどういう関係があるの?というわけだ。
仮にそばに有名人がいたって、職業は違っても働くもの同士という意味では平等。それに彼らはプライドが高いので、それが誰であろうとへりくだってサインをもらう自分を想像するとぞっとしてしまうのかもしれない(笑)。
ちなみにその店においては、その時だけでなく 何度もアナウンサーや大物俳優といったひとたちを見かけたけれど、本当に彼らはまわりに溶け込み、誰にも邪魔されずに楽しそうに食事をしていた。大物俳優が店に入ってきた時だけは、彼に気がついたひとたちが(自分たちのテーブルから)彼に挨拶したのだけれど、俳優の方ももとても気さくに彼らに挨拶を返していた。

これは余談だけれども、一週間ほど前にシネマテーク・フランセーズでも ちょっとびっくりすることがあった。
ベルトルッチの映画の大フアンである私は、その日彼の新作を見るために出かけていった。
その日は一般公開に先がけた、シネマテーク会員のための特別試写会で ベルトルッチ監督本人も来て挨拶をすることになっていた。 着くと入り口に黒いリムジンが横付けされているのが眼に入った。 もしやと思う暇もなく、リムジンの扉が開いて 足の悪い監督のために車椅子が用意されると中からベルトルッチが姿を現した。 この時も、写真を撮っていたのはほんの2~3人のプレスのひとたちだけで 他に人垣もなければ写真を撮っている人すら見当たらなかった。

さまざまな事情でさまざまな国から人々が寄り集まって暮らす街パリ。 そんななかで培われた個人主義。
人を意識はしているけれど、個々の境界線は潔く守る。
パリの粋というのは実はこんなところにある気がする。

Lao Siam(タイ料理)-49 Rue Belleville (19区)

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# by kuro_music | 2014-11-27 01:37 | パリ、お気に入りアドレス

- CRACKS- 汚れなき情事(邦題)

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ベルトルッチの<ドリーマーズ> (2003) での鮮烈なデビューから、カジノロワイヤル(2009)まで水もしたたる美しさと独特の個性的な演技で観客を魅了してきたエヴァ グリーン。
エヴァの母親は、ゴダールなどヌーヴェルヴァーグの作品をはじめ、60~70年代フランス映画史を彩る作品群に出演してきた女優、マルレーヌ ジョベールである(最近、彼女は自分についての本を出版し、彼女の娘達 - エヴァには双子の妹がいる - も知ることのなかった自分の子供時代や恋愛、キャリア について書き話題になった)。
さて、今日はもしかすると それほど知られていないエヴァの出演作であり 、彼女の< ノワールな>魅力を堪能できる一本を御紹介しよう。

原題の < cracks > は、< ひび割れ >とか、ぱりっと物に亀裂が走る時の音を表す。(つまりこの作品においては 、女のデリケートなプライドに欲望や嫉妬によって亀裂が生じることを暗示しているのである)。
1930年代の英国。厳格な寄宿学校で、エヴァ演じる女教師 miss G は、その美貌とファッションセンス、機知に富んだ話し方などで女生徒たちの憧れの的である。彼女は事あるごとに(特に水泳の時間などで)生徒達に自己の開放を促すなど、まるて宗教のグルのようにふるまい、絶対的なカリスマをほしいままにしていた。
女生徒のグループの中ではダイという少女がリーダーで、miss G のお気に入りであると同時に 彼女の最も熱心な崇拝者であった。そんなある日、スペインの貴族の血をひく ミステリアスなフィアマという美少女がやって来る。
最初の水泳の時間に、その驚くべき飛び込みの技術で皆をあっと言わせた フィアマは、どこか超然としてい て 、他のおどおどした少女たちと比べれば その特別な魅力は疑う余地などない。そして そんな彼女に、miss G は 完全に魅了されてしまう。そのうえ、祖国から送られてくる夢のようなお菓子や、すばらしい香りのする香水。フィアマは少女たちが手に入れてみたいと思うものを片っ端から持っていた。
年少の少女たちは、たちまちフィアマを慕いはじめるが、完全にお株を取られてしまったリーダーのダイは 激しい嫉妬に苛まれることになる。
そんなある日、miss G の部屋でフィアマは自分あてに父親が世界各国から送った絵葉書の束を見つけてしまう。そのうえ彼女は、miss G が文学作品に描かれた冒険を、まるで自分が体験したかのように女生徒たちに話して聞かせていることを見破る。
必死にフィアマの関心を引こうと努めてきたmiss G を、フィアマは冷たく拒否するようになり
それでもなお、miss G はフィアマの愛と尊敬を手に入れることをあきらめることができない。 こうして少しずつ、missG の世界がゆらぎ始める。 miss G を追いかけるダイと、フィアマを追いかけるmiss G. このトライアングルの行き着く先は?

嫉妬にとりつかれたダイと、欲望に取り憑かれたmissG にとってフィアマという存在は、何が何でも乗り越えなければならない< 目的>、オブセッションになってゆくところがこの映画の面白さである。
miss G が、ありったけの勇気をふりしぼって寄宿学校の外のパン屋へ行くシーンは印象的だ。 ここで、それまでの<格好いい>miss Gのイメージは完全に消えて欠くなり、彼女がすでに自己コントロールを失い、実は 精神的に自立しているどころか、寄宿学校の外へ出ることさえ勇気のいるちいさな女の子でしかなかったことを暴いて見せるシーンだ。
もうあとは、崖を転がる石のように衝撃のラストまで突き進む。女性監督ならではの、鋭く繊細な心理描写、そして英国風ガーリーな味付けも効いている。 もしあなたが、エヴァのファンならば(私はもう、本当にファン!)、ただ単純に 彼女の30年代ファッションの見事な着こなしを見るだけでも楽しめる映画だ。

汚れなき情事 - (監督)Jordan Scott、(出演)Eva Green,Juno Temple /2009年(英)
<DVD>発売済み。
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# by kuro_music | 2014-11-26 04:38 | kuroの試写室

雨の日、サンドの館で

「太陽の下で」と約束したはずの、友人のイレーヌとの再会はあいにくの雨模様となってしまった。 私たちはモンマルトルの近くにあるミュゼ・ド・ラ・ヴィ・ロマンテイツク(ロマン派博物館)で待ち合わせをした。この博物館はショパンの恋人として、又 作家として名高いジョルジュ・サンドが暮らした館を当時のままの姿で保存しており、彼女の遺品はもちろん、当時の生活を偲ばせるたくさんの美術品で知られている。私はメトロ:ピガールの出口を出た後通らなければならない、いかがわしい感じのする通りを歩きながら、果たしてこの近くにサンドが暮らしたロマンテイツクな館などがあるのかと いぶかしく思っていると、突然 角を曲がったあたりから不思議なほどの静けさに包まれた。 よくみると、通りのずっと先のほうに葉が生い茂った場所があり イレーヌが立っていた。博物館の入り口は小石の敷かれた小道になっていて、木々に囲まれて薄暗い。 私たちが土から立ち上る雨の匂いを吸い込みながら2,3歩進むとすぐに視界が開けて優雅な19世紀の館が姿を現した。入り口の扉はとても繊細な印象を与える小ささで、華奢な真鍮の取っ手を回して扉を開くとそこにはショパンの生きた時代がそのまま、息をひそめていた。ガラス・ケースの中はサンドの遺品で一杯だ。彼女の身に着けていた装身具や思い出の品々はいまだに彼女の指のぬくもりを伝えている。 一番印象的だったのは、並べて展示されたサンドとショパンの肘から手にかけての石膏だった。サンドのは、ちいさくて幼女の腕のようだ。まるで砂糖菓子のような...! ショパンの手は全体にとても細くて繊細な手で、今にもピアノを弾きだしそうな形をしている。一方、赤い色で統一されたサロンは所狭しとさまざまな肖像画で埋め尽くされている。中央には花を髪に飾ったサンドが誇らしげに微笑む、一番有名な彼女の肖像がかけられていた。そこに立って耳を澄ませば、19世紀のサロンのざわめきが聞こえてくるようだ。 館の内部は以外に狭く、小さな部屋ばかりである。 サンドの装身具や果物ナイフなどを見てふと思ったのだが、当時の人々は今日のヨーロッパ人達ほどは大きくなかったのではないだろうか?イレーヌも同じことを感じたようだ。それらはとても小さく感じられる。  私とイレーヌは博物館を出た後、クレープ屋に入っておしゃべりをした。ルピック通りをさらに上ったところにある目立たないクレープ屋だけれど、私はここでずっと食べたかった大好物のクレープ・シュゼット(日本では有名であるが、本場フランスでは以外にもなかなか見当たらない)を見つけ、大喜びだった! ほろ苦いオレンジの砂糖漬けの入ったクレープが炎に包まれて登場した。それはグラン・マニエとオレンジの生き生きとした風味が合わさって感動的な味がした。イレーヌの注文したカフェ・オ・レは不思議なことにベルギーのミルク・コーヒーのように小さめのカップで出された。私たちの会話はいつもイタリア語である。なぜなら、私は何年かの間イタリアに住んでいたしイレーヌもそうだった。しかも彼女のボーイフレンドもローマ出身のイタリア人なので彼女はオーストリア人でありながら流暢なローマ弁を話す。私たちが,
ベルルスコーニに私たちの友達の誰も投票したことがないのに、いつも彼が当選するのはマフィアとつながっているからだなどと話していると イレーヌのイタリア人らしからぬ外見と熱のこもったローマ弁に興味をそそられたのか、隣のテーブルの人々が私たちに注目し始めたのが可笑しかった。しかも、彼女の話相手は日本人なのだから!  その日私たちは店を出た後も歩きながら話が止まらず、気がつくとオペラ座の前まで来ていた。私たちは、次は映画を見に行く約束をして別れた。
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# by kuro_music | 2014-10-23 08:27 | パリ・ショートストーリー

進め!イタリアの明かりだ!

1999年の夏、ウイーンで勉強中だった私はヴアイオリンを抱えてミラノ行きの列車に乗った。オーケストラのオーデイションを受けに行くためだった。  その年、私は初めて強くヨーロッパのオーケストラに入団したいと望んでいた。 毎月買う、ヨーロッパ中のオーケストラの求人情報の載った雑誌をめくっていた時に、このミラノのオーデイションのことを知った。そしてこのオーケストラの主席指揮者のところに私の憧れのイタリア人指揮者の名前が載っているのを見つけた瞬間 私はイタリアに行ってみようと思った。                  

 初めて目にしたミラノの街はガソリンで曇っていて、埃っぽかった。私は、予約したホテルを探してマルコーニ通りを行ったり来たりしていた。どこを探しても、目的のホテルが見つからないのである。 けれどもよく気をつけてみると、信じられないほど粗末で目立たない扉の横に、いくつも並んだインターフォンのボタンがあって そのひとつに手書きでホテル名が書かれていた。が、鳴らしてみても何の返答もない。 不安になって何度も押してみたが、結果は同じである。予想外の展開に面食らった私は、すぐ真向かいにあった大きくて立派なホテルに助けを求めた。
金色に輝くホールで、レセプションの男はとても親切に何があったか理解してくれ、早速 向かい側の「ちいちゃな」ホテルに電話をするとこう言った。「おいおい、どうしたんだね?あんたんとこのお客さんが、中に入られなくて困ってるじゃないか?」 電話の後、彼は私に まるで自分のホテルの別館にでも案内するかのように「さ、どうぞ。もう大丈夫!入れますよ」と言ったのだった。
  
 その小さく古びた扉を開けると、ヨーロッパの建物の多くがそうであるように、 中には別の建物と中庭があった。ホテルのドアを開けると、再び驚きに見舞われた。レセプションには「青いバス・ローブ姿の男」が立っていたのだ!でも、私が本当に言いたいのは、ホテルのフロントにバス・ローブを着た男が立っていたことよりも、それまでの人生でこんなにバス・ローブの似合う男を見たことがなかったということである。ーつまり、彼はアラン・ドロンみたいにセクシーであった!ー
しかも私が入っていった時、彼は大声で電話の真っ最中だったので、私は彼の見事なバス・ローブ姿を見ながら 「それにしても朝の11時になるというのに、フロントの人がシャワーを浴びたばかりとは一体どういうことなのだろう?」などと考える時間があった。 電話の後、このハンサムな男性はバス・ローブ姿のまま、とても親切に部屋へ案内してくれた。私がヴアイオリンを弾いてもよいかと尋ねると、彼は目を輝かせて「それじゃ、今夜ぜひ皆の前で演奏してもらえない?」と言って出て行った。”皆”とは一体誰のことなのか、その時は解らなかったが ,夕食の時間が近づいてそれがわかった。私が夢中で練習していると、ひかえめにドアをノックする音が聞こえた。ドアを開けると、そこには今朝のバス・ローブの男ともう一人、別の男がにこにこしながら立っていた。「さあ、こちらへ!」  促されるままに付いて行くと、奥のキツチンや居間には彼らの家族と思われる人々が集っていた。私まで前菜などを勧められ、ついにそこでヴァイオリンを弾くことになったのだ!私にとっても、本番前のリハーサルになるので有難かったが 知らな、大人から子供までが思い思いの場所に腰を下ろして私の演奏に耳を澄ましてくれたこの不思議な夜は、私にとって初めてのイタリアの夜でもあり、鮮烈な印象となって残った。

 次の日のオーデイションはこれもまた、びっくりの連続だった。世界中のクラシック・ファンが知っている高名なマエストロ(指揮者)が目の前にいて、私が一通り弾き終えると満足げに微笑んでこう言った。「ベーネ、ベーネ(goodの意味)!君は上手だから、ちょっとシュトラウスの「英雄の生涯」のソロをひいてもらえないかね?」ー 断っておくが、この『英雄の生涯」のソロとは、通常コンサート・マスター(ヴァイオリンのトップ奏者)が演奏する部分で、今回の私のようにその他大勢の奏者の試験を受けに来た者が弾くべき曲ではない。しかも難曲である。当然のことながら、用意のない私は断った。すると今度は、別の曲のこれまたコンサート・マスターが演奏する部分を弾けと言う。あっけにとられた私が立ちすくんでいると、彼のアシスタントがやって来てさっさとその楽譜を私の前に置いた。それはバッハの曲だった。「大丈夫だから、ちょっと弾いてごらん」と言う彼の言い方には、「コーヒーを淹れてくれる?」ぐらいの重要性しかなかった。こうなったらもう、弾くしかない。私は弾いたがそれは全くの初見で、初見の苦手な私は自分の弱みをさらしたにすぎなかった。
私は 半泣きになりながらホテルに戻り、自分の小ささを呪った。せっかくのチャンスを台無しにしたかもしれないのだ。 オーデイションの結果は1週間後と聞いて、ウイーンに戻った私は、一週間経っても何の連絡もないこのオーデイションはきっとだめだったのだと思った。
そして忘れかけていた頃、突然の電話で合格が知らされた。実感がつかめなかった私は、「つまり、イタリアに住むということですか」などとつぶやいてしまった。すると電話の向こうで相手は「そう。引っ越さなきゃならないんじゃない?」とイタリア語訛りの英語で答えた。
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# by kuro_music | 2014-09-27 19:25 | イタリアで