タグ:オーケストラ ( 1 ) タグの人気記事

1999年 9月

e0214793_06503711.jpg
その年の九月、私は留学先のウイーンからミラノに引越しをした。

引越しをしたとはいっても、オーケストラの仕事が月末から始まるというのに、まだ住む場所の検討がついていなかった。
しかたなく、私の引越しの荷物は「すべて」、私がイタリアで知っている唯一の住所であるオーケストラの事務所に届けられた。
そもそも住居に関しては、労働ビザなどの手続きのために日本から連絡をとった時、事務員がいとも簡単に「あなたの住む場所については、こちらで探しておきます」と言ったのを、うかつにも信じ込んでしまったのだった。
いわゆる、「イタリアの泥棒」とか、「イタリア男には気をつけろ」といったような、ステレオタイプの話についてはよく知っていたものの、結局それ以上はなにも知らなかったのだった。だから、頭からそんな電話での口約束を信じて事務所に行き、さて私の住む場所はと尋ねると、事務員にぽかんとした顔で「そんなこと、全く知らない」と言われて私は頭が真っ白になり、その場に立ち尽くしてしまった。
しかたなく、私は仕事場の近くに 看板の三ツ星のひとつが消えかかっている小さなホテルを見つけ、そこから毎日仕事に通うことになった。
そのホテルの裏手には小さいけれど手入れの行き届いた庭があり、朝食の時間になると真っ白な子猫がどこからかやってきて、私とブリオッシュを分け合った。

ミラノの街はまだ夏の気配が残っていて、午前中のやわらかい風は、まだ休暇の匂いを残していた。
仕事場の雰囲気は素晴らしかった。団員はさまざまな国から集まっていたが、やはりイタリア人がそのほとんどだった。
カテリーナという、小柄なイタリア人のヴィオラ奏者が最初に話しかけてきた。といっても、私はまだイタリア語で話すことなどできなかったのだが、彼女はいっこうに気にかける様子もなく 次々と新しいオーケストラの仲間を紹介してくれた。
 最初に紹介してくれたのが、一番の友達となるチェリストのマテオとヴァイオリニストのジャンピエロだった。背が高くて美男のふたりは、そろってラヴェンナ出身だった。内気な感じのするマテオと屈託のない、明るいジャンピエロ。
リハーサルの休憩時間になると、私たちはバールにカフェを飲みに行った。

 イタリアのコーヒー、つまり「おもいきり濃いエスプレッソ」は、始め私の好みに合わなかった。ウイーンで、メランジェという世にもまろやかなコーヒー(上に、繊細なメランゲのように泡立てたミルクがのっているのだが、カプチーノのようにもっちりした泡ではない。その下のコーヒーも、エスプレッソのような鋭さはない)に親しみすぎていたのがその理由である。それでもそのうちに慣れ、私も他のイタリア人たちと同じように、バールで濃いエスプレッソを飲むことが大好きになっていった。

仕事が五時半に終わると、私は広告や新聞の切り抜きを手に、アパート探しのためにミラノの西へ、東へと駆けずり回った。
家賃の高いミラノで、できるだけ家賃を安くきりつめようと、若い人たちは部屋をシェアするためにルームメイトを探している場合も多かった。オーケストラの団員たちも、その多くが家を他の団員とシェアしていた。私も、そんな募集をいくつか見つけて訪ねてみた。ところが、そのうちのひとつにはあきれてしまった!
 待ち合わせのメトロの駅で、24歳くらいでそばかすだらけの愛嬌のいい男の子が待っていた。彼はアメリカ人で、ミラノの大学で勉強しているという。彼に連れられて行ったアパートは、だだっぴろいひと部屋に、彼とあとふたり(!)の男の子たちが暮らしていた(彼らはただその平面をモノでくぎって暮らしていた)。
皆たいそう愛想がよくて、私が部屋に入っていくと、「こんにちは」と言いながらそれぞれの領域から部屋の中心に進み出てきた。さて、じゃあ私の部屋を見せてくださいと言うと、そばかすの彼は微笑を崩さずに ごくあたりまえのように「そこです」と言った。彼の指が指差していたのは紛れもなく私が立っていたあたり、部屋に入って三歩ほど歩いた壁側のゾーンのことだった。(確かに、その右側の壁のあたり何メートルかはがらんとしていた)。さすがの私も、こればかりは笑うしかなかった!冗談なら、上出来だ。この相撲部屋のなかに女ひとり、チョークかなにかで線でも引いて、その中でどうぞお好きに暮らして下さいというわけか?
 私は、エレベーターまで三人の特大スマイルに見送られながら あわてて立ち去った。



[PR]
by kuro_music | 2014-11-28 01:44 | イタリアで