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年のはじめに

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南仏で過ごした年末年始の一週間は、さながらシャンパンの泡のようにはかなく過ぎていった。年の初めにボローニャから古い友達がやって来た。
私はすでに年末から眠りたいだけ寝ていたので元気いっぱい、小さなニースの市街を速足で、トラムなど使わずに歩き廻るのに慣れていたがこの友達ときたら、ゾンビみたいに疲れてやってきて、一緒に歩くとまるでカメとお散歩しているかのように歩みが遅い。
そこで私は彼女にあわせてゆ~っくりゆ~っくり、じれったさを抑えながら歩いた。
しかしこの彼女こそ、数少ないほんとうの友人のひとりなのである。
イタリアで最初に仲良くなった友達。彼女とは何年会わなくても何も変わらない。
最後にあった日と再会の日がすっとつながるようにできているらしい。
彼女はイタリア人だけれど、まるで私の妹みたいな感じがする。言葉の壁が存在しないかのようだ。
ミラノで、ある日曜日に病気になった私のために救急車を呼び、病院でさんざん待たされたあげくに、診察が終わるまでの果てしなく長く感じられた時間をずっと待合室で待っていてくれた友達だ。
診察室から出て、まだ彼女がそこにいた事が分かった時の驚きとほっとした気持ちはまるで昨日のことのように鮮明で、きっと一生忘れないだろう。
だから今日のブログはカテリーナ、あなたへのちいさなメッセージとさせてほしい。
私たちは一緒にいた3日間の間、一緒に食べたり時間を気にしながらショッピングをしたり、時には昔にもどって軽口をたたいたりしたけれど、 こうしてひとりパリにもどってみると、もっとああしてあげればよかった、あんなこと言わなきゃよかったって思うことばかり。次に会うときにはもっと大人になってるからね。そして、あなたにたくさんの素敵なことが起こる年でありますように!

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by kuro_music | 2016-01-12 19:22

1999年 9月

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その年の九月、私は留学先のウイーンからミラノに引越しをした。

引越しをしたとはいっても、オーケストラの仕事が月末から始まるというのに、まだ住む場所の検討がついていなかった。
しかたなく、私の引越しの荷物は「すべて」、私がイタリアで知っている唯一の住所であるオーケストラの事務所に届けられた。
そもそも住居に関しては、労働ビザなどの手続きのために日本から連絡をとった時、事務員がいとも簡単に「あなたの住む場所については、こちらで探しておきます」と言ったのを、うかつにも信じ込んでしまったのだった。
いわゆる、「イタリアの泥棒」とか、「イタリア男には気をつけろ」といったような、ステレオタイプの話についてはよく知っていたものの、結局それ以上はなにも知らなかったのだった。だから、頭からそんな電話での口約束を信じて事務所に行き、さて私の住む場所はと尋ねると、事務員にぽかんとした顔で「そんなこと、全く知らない」と言われて私は頭が真っ白になり、その場に立ち尽くしてしまった。
しかたなく、私は仕事場の近くに 看板の三ツ星のひとつが消えかかっている小さなホテルを見つけ、そこから毎日仕事に通うことになった。
そのホテルの裏手には小さいけれど手入れの行き届いた庭があり、朝食の時間になると真っ白な子猫がどこからかやってきて、私とブリオッシュを分け合った。

ミラノの街はまだ夏の気配が残っていて、午前中のやわらかい風は、まだ休暇の匂いを残していた。
仕事場の雰囲気は素晴らしかった。団員はさまざまな国から集まっていたが、やはりイタリア人がそのほとんどだった。
カテリーナという、小柄なイタリア人のヴィオラ奏者が最初に話しかけてきた。といっても、私はまだイタリア語で話すことなどできなかったのだが、彼女はいっこうに気にかける様子もなく 次々と新しいオーケストラの仲間を紹介してくれた。
 最初に紹介してくれたのが、一番の友達となるチェリストのマテオとヴァイオリニストのジャンピエロだった。背が高くて美男のふたりは、そろってラヴェンナ出身だった。内気な感じのするマテオと屈託のない、明るいジャンピエロ。
リハーサルの休憩時間になると、私たちはバールにカフェを飲みに行った。

 イタリアのコーヒー、つまり「おもいきり濃いエスプレッソ」は、始め私の好みに合わなかった。ウイーンで、メランジェという世にもまろやかなコーヒー(上に、繊細なメランゲのように泡立てたミルクがのっているのだが、カプチーノのようにもっちりした泡ではない。その下のコーヒーも、エスプレッソのような鋭さはない)に親しみすぎていたのがその理由である。それでもそのうちに慣れ、私も他のイタリア人たちと同じように、バールで濃いエスプレッソを飲むことが大好きになっていった。

仕事が五時半に終わると、私は広告や新聞の切り抜きを手に、アパート探しのためにミラノの西へ、東へと駆けずり回った。
家賃の高いミラノで、できるだけ家賃を安くきりつめようと、若い人たちは部屋をシェアするためにルームメイトを探している場合も多かった。オーケストラの団員たちも、その多くが家を他の団員とシェアしていた。私も、そんな募集をいくつか見つけて訪ねてみた。ところが、そのうちのひとつにはあきれてしまった!
 待ち合わせのメトロの駅で、24歳くらいでそばかすだらけの愛嬌のいい男の子が待っていた。彼はアメリカ人で、ミラノの大学で勉強しているという。彼に連れられて行ったアパートは、だだっぴろいひと部屋に、彼とあとふたり(!)の男の子たちが暮らしていた(彼らはただその平面をモノでくぎって暮らしていた)。
皆たいそう愛想がよくて、私が部屋に入っていくと、「こんにちは」と言いながらそれぞれの領域から部屋の中心に進み出てきた。さて、じゃあ私の部屋を見せてくださいと言うと、そばかすの彼は微笑を崩さずに ごくあたりまえのように「そこです」と言った。彼の指が指差していたのは紛れもなく私が立っていたあたり、部屋に入って三歩ほど歩いた壁側のゾーンのことだった。(確かに、その右側の壁のあたり何メートルかはがらんとしていた)。さすがの私も、こればかりは笑うしかなかった!冗談なら、上出来だ。この相撲部屋のなかに女ひとり、チョークかなにかで線でも引いて、その中でどうぞお好きに暮らして下さいというわけか?
 私は、エレベーターまで三人の特大スマイルに見送られながら あわてて立ち去った。



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by kuro_music | 2014-11-28 01:44 | イタリアで

進め!イタリアの明かりだ!

1999年の夏、ウイーンで勉強中だった私はヴアイオリンを抱えてミラノ行きの列車に乗った。オーケストラのオーデイションを受けに行くためだった。  その年、私は初めて強くヨーロッパのオーケストラに入団したいと望んでいた。 毎月買う、ヨーロッパ中のオーケストラの求人情報の載った雑誌をめくっていた時に、このミラノのオーデイションのことを知った。そしてこのオーケストラの主席指揮者のところに私の憧れのイタリア人指揮者の名前が載っているのを見つけた瞬間 私はイタリアに行ってみようと思った。                  

 初めて目にしたミラノの街はガソリンで曇っていて、埃っぽかった。私は、予約したホテルを探してマルコーニ通りを行ったり来たりしていた。どこを探しても、目的のホテルが見つからないのである。 けれどもよく気をつけてみると、信じられないほど粗末で目立たない扉の横に、いくつも並んだインターフォンのボタンがあって そのひとつに手書きでホテル名が書かれていた。が、鳴らしてみても何の返答もない。 不安になって何度も押してみたが、結果は同じである。予想外の展開に面食らった私は、すぐ真向かいにあった大きくて立派なホテルに助けを求めた。
金色に輝くホールで、レセプションの男はとても親切に何があったか理解してくれ、早速 向かい側の「ちいちゃな」ホテルに電話をするとこう言った。「おいおい、どうしたんだね?あんたんとこのお客さんが、中に入られなくて困ってるじゃないか?」 電話の後、彼は私に まるで自分のホテルの別館にでも案内するかのように「さ、どうぞ。もう大丈夫!入れますよ」と言ったのだった。
  
 その小さく古びた扉を開けると、ヨーロッパの建物の多くがそうであるように、 中には別の建物と中庭があった。ホテルのドアを開けると、再び驚きに見舞われた。レセプションには「青いバス・ローブ姿の男」が立っていたのだ!でも、私が本当に言いたいのは、ホテルのフロントにバス・ローブを着た男が立っていたことよりも、それまでの人生でこんなにバス・ローブの似合う男を見たことがなかったということである。ーつまり、彼はアラン・ドロンみたいにセクシーであった!ー
しかも私が入っていった時、彼は大声で電話の真っ最中だったので、私は彼の見事なバス・ローブ姿を見ながら 「それにしても朝の11時になるというのに、フロントの人がシャワーを浴びたばかりとは一体どういうことなのだろう?」などと考える時間があった。 電話の後、このハンサムな男性はバス・ローブ姿のまま、とても親切に部屋へ案内してくれた。私がヴアイオリンを弾いてもよいかと尋ねると、彼は目を輝かせて「それじゃ、今夜ぜひ皆の前で演奏してもらえない?」と言って出て行った。”皆”とは一体誰のことなのか、その時は解らなかったが ,夕食の時間が近づいてそれがわかった。私が夢中で練習していると、ひかえめにドアをノックする音が聞こえた。ドアを開けると、そこには今朝のバス・ローブの男ともう一人、別の男がにこにこしながら立っていた。「さあ、こちらへ!」  促されるままに付いて行くと、奥のキツチンや居間には彼らの家族と思われる人々が集っていた。私まで前菜などを勧められ、ついにそこでヴァイオリンを弾くことになったのだ!私にとっても、本番前のリハーサルになるので有難かったが 知らな、大人から子供までが思い思いの場所に腰を下ろして私の演奏に耳を澄ましてくれたこの不思議な夜は、私にとって初めてのイタリアの夜でもあり、鮮烈な印象となって残った。

 次の日のオーデイションはこれもまた、びっくりの連続だった。世界中のクラシック・ファンが知っている高名なマエストロ(指揮者)が目の前にいて、私が一通り弾き終えると満足げに微笑んでこう言った。「ベーネ、ベーネ(goodの意味)!君は上手だから、ちょっとシュトラウスの「英雄の生涯」のソロをひいてもらえないかね?」ー 断っておくが、この『英雄の生涯」のソロとは、通常コンサート・マスター(ヴァイオリンのトップ奏者)が演奏する部分で、今回の私のようにその他大勢の奏者の試験を受けに来た者が弾くべき曲ではない。しかも難曲である。当然のことながら、用意のない私は断った。すると今度は、別の曲のこれまたコンサート・マスターが演奏する部分を弾けと言う。あっけにとられた私が立ちすくんでいると、彼のアシスタントがやって来てさっさとその楽譜を私の前に置いた。それはバッハの曲だった。「大丈夫だから、ちょっと弾いてごらん」と言う彼の言い方には、「コーヒーを淹れてくれる?」ぐらいの重要性しかなかった。こうなったらもう、弾くしかない。私は弾いたがそれは全くの初見で、初見の苦手な私は自分の弱みをさらしたにすぎなかった。
私は 半泣きになりながらホテルに戻り、自分の小ささを呪った。せっかくのチャンスを台無しにしたかもしれないのだ。 オーデイションの結果は1週間後と聞いて、ウイーンに戻った私は、一週間経っても何の連絡もないこのオーデイションはきっとだめだったのだと思った。
そして忘れかけていた頃、突然の電話で合格が知らされた。実感がつかめなかった私は、「つまり、イタリアに住むということですか」などとつぶやいてしまった。すると電話の向こうで相手は「そう。引っ越さなきゃならないんじゃない?」とイタリア語訛りの英語で答えた。
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by kuro_music | 2014-09-27 19:25 | イタリアで